町名すとうりい
町名すとうりい
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川越は城下町特有の町名があります。
松平伊豆守信綱の時代に施行された十ケ町四門前の町割が、
今もほぼそのままに残されています。
松平伊豆守信綱
昭和36年の町名変更や地番整理で消えてしまったり変わってしまった町のなまえ、
しかし、町の人の会話の中や、
日々の暮らしに残されています。
もう一度町名変更してもいいとおもいませんか?
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川越のお城の中だった、『曲輪内(くるわうち)』と呼ばれてい たところ 江戸時代に清水があったため,この名がついた,家康公もこ の水をほめたたえたと云われる。 城の外郭を築く折、南大手の辺は土地が低いため、お堀の 土だけでは 土手を築くのに足らず,この地より取ったため両側 の屋敷通りより一段と低くなった。 土地が低い、くぼんだという意味になる。 江戸への重要な街道だった。 伊豆守の時代は、足軽二十人を一組とした組屋敷があった。 一番町は、伊豆守が畑だったところへ足軽屋敷を建てた。 その後、美濃守が二番町、三番町を起こした。 通り町より、西に位置している。 |
川越鎮守,氷川神社の前の通りを昔は、「宮の下」と云ってた。 城の西大手門の前、江戸へ行く時は、必ずここを通ったので 「江戸街道」と云われていたが、その後「江戸町」と呼ばれるよう になった。 昔は,本町に属していた。また古くは『東町』とも呼ばれていた。 ![]() 桶を作る桶大工が開いた町なので「箍町(タガマチ)」 と呼ばれた 時の鐘 |
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その昔、ここより仙波にかけて大きな沼があり、鱸(とんこ)という魚がいた。その味が,中国の松江の巨口細鱗(きょこうさいりん)「口が大きくウロコの小さい魚」にも劣らないほどの珍味だったので、松江という名がついた。 |
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古くは「喜之助町」といったいたが、妙養寺門前に家が六軒 あったので、そこを「六軒町」といっていたのが後に町の名とな った。 氷川神社のおひざもとの意味で、この名が起こった。 札の辻から北方に位置するところから北町という名がついた。 以前は、「東明寺町とか東明寺門前町」と云われていた。 城の西大手門の正面にあり、昔は『本宿』 と云っていた。 小田原北条氏のころ(室町時代)刀鍛冶が 集り住んでいたので,この名が起こった 消火器の箱に「区町冶鍛」とある 古くは、大きな馬場があったが、後に 鴫善太という刀鍛冶が開いた町で「鴫町」 と呼んだ。 蓮馨寺を開山した感誉上人に随従して 来た猪鼻氏が門前町を拓いた、ここが猪 鼻町と呼ばれた。 蓮馨寺の門前に連雀店が多く出ててた ことからそう呼ばれた。 侍町だったが、屋敷の数が少なかった のでこう呼ばれていた。残ってた!古い街灯に |
古くから神明神社があった土地なので、この名がついた。 城下の町並み−喜多町−より坂下の低い地形にあるため、 「下町」の名が起こった。 昔は灰(肥料)を売る家があったので(灰市場)と言われて いた。札の辻より南、一番多く蔵造りが残っている。 雪塚稲荷の瓦 南町の文 江戸初期、鷹匠が住んでいたのでこの名が残っている。 鷹匠屋敷もあったらしい。通称『お鷹部屋』と云う。 古代は,石河原だったたので「石原」と呼ばれてきた。 城下の宿泊所として旅籠が軒を並べていた。 「袋町」石原町赤間川の傍を入った路地の中を云う。 観音寺はかつて修験道場だった。山伏が背負っているも のから「袋」、袋小路から「袋」、諸説あり。 養寿院の西に伊豆守の馬場があり、近くに厩(うまや) がった。地元では『オンマヤシタ』と発音する。 明治六年、栄林寺境内に相生学校が開かれた、その名 を取ったのか、委細不明。もと行養町を改めた。 |
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| お不動さまの手水鉢 「猪鼻町」 「志儀町」 「中松郷町」 「高澤町」 | |||||
竹沢九郎という人が開いた、「竹沢」が 「高沢」になった 妙養寺門前町が 明治になってお寺の 『橘』を取って町名と した。 町分から郷分(ごうぶん)「松郷」と接し、村分との 堺にあるためこの名がついた。 |
古い看板に今も残っている。大変貴重だなっ。 川越城や喜多院・東照宮なとを建てた工匠が 住んでいたところ? 鎌倉時代に仙波氏一門が地頭として支配していた根拠地。 「堀の内」仙波氏の館があったところ。 |
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改(開所前)/蔵町/裏町/鉦打町/ 松郷/赤座/横新田// 新田町/大久保町/杉原町// 坂下町/坂上町/杉下町 今成/月吉/五反町/六反町 |
札 の 辻 |
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石原町のバス停 「小久保」 昔の字名 赤間川 /黄金橋 |
/清水町 立門町/ 地名呼び名 七曲・赤座通 蓮馨寺の門前・堅門前・南門前 札の辻/菓子屋横丁/赤間川 櫻横丁・鷹小路 七つ釜・遊女川(よながわ) 坂下 仙波河岸 |
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昭和36年以前に無くなってしまった町名もあります。
黒門があったのでこの名がついた。 |
代官、大河内金兵衛住んでいた所。 南に行くは、裏宿 |
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伊豆守の時代に近江国友村より鉄砲鍛冶/国友佐伍右衛門を召抱えた。柳沢吉保の時、弟子達と共にここへ住まわせた。 |
北条氏に仕えていた瀬尾下総守という人が住んでいた。 |
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伊豆守のころ、町同心十人の屋敷をここに置いた。大正期まで残っていた。 |
餌差が住んでいた。 |